75年前、沖縄は地獄となった。糸満市摩文仁(まぶに)沖の青い海は米軍の艦船で黒く埋め尽くされ、人々は飛び交う砲弾や迫りくる米兵におびえながら逃げまどった。軍民が混在する凄惨な地上戦が繰り広げられた。命を脅かしたのは米兵だけでない。日本兵からも「集団自決」を迫られたり、スパイ視され殺されたりして多くの命が失われた。県民に4人に1人が犠牲となった。沖縄では司令官が自決し組織的戦闘が終った6月23日が「慰霊の日」という休日だ。
摩文仁の丘の礎には戦争犠牲者の名前が刻まれている。その数24万余。今も身元判明した名前が追加される。県民、日本兵ばかりでなく米兵や朝鮮人、台湾人などすべての犠牲者の名も。
「二度と戦争は繰り返さない」と誓う沖縄にとって最も大切な日。コロナ感染防止のため集会は縮小されたが、沖縄中が過去を振り返り、現在を見つめる日でもある。
(キャンプシュワブゲート前)
時折、強い雨が打ちつける中、雨具に身を包んで約20人が座り込んだ。コロナウィルスの影響で参加者は明らかに減っているが、今週ようやく移動制限が解除され、本土からの参加者も目立ち始めた。
野党の追及を恐れ国会は強引に閉じられたが、汚職と不祥事にまみれた安倍政権への批判は高まるばかりだ。マイクを持った参加者のスピーチも醜態をさらけ出す安倍首相への怒りと皮肉が入り混じり活気がある。沖縄からも不条理な新基地建設を強行すす安倍政権を窮地に追い込む闘いがますます求められる。173台が資材を搬入した。
(琉球セメント安和桟橋前)
降り続く雨の中、約20人が桟橋の出入口に分かれ、土砂を搬入するダンプに向かい抗議のデモ行進。
GoGoドライブのメンバー8台もダンプの運行を遅らせようと出口前をノロノロ運転した。そのため一時は40台余りのダンプが桟橋内に押し込められ、土砂搬入が大幅に遅れた。工事再開されてから5日間連続で夜8時まで行われていた搬入作業は、初めて通常の5時に戻った。
ダンプ708台分の土砂が運搬船3隻に積み込まれ、大浦湾に向け出港した。
(本部町塩川港)
月一回使用するガット船への積み込みで能率の悪い作業が続いた。加えて天候不順のため午前中で作業終了。積み込まれた土砂はダンプ55台分。
きょう現在までに搬出されたダンプの数と土砂量、全体との割合
これらの数値はあくまでもダンプの台数から推計した参考値です。
2018年12月から2019年12月末までのダンプの数は114,601台(全体との割合は1.39%)
20日(土) | 22日(月) | 23日(火) | 24日(水) | 25日(木) | 26日(金) | |
安和 | 673 | 708 | ||||
塩川 | 0 | 55 |
現在までのダンプの総数 | 土砂量 ※① | 体積に換算 ※② | 全体との割合 ※③ |
187,589台 | 937,945t | 468,973㎥ | 2.274% |