12月2日(水)中村吉且・淑子夫妻 怪我を乗り越え反対運動に参加 「沖縄には希望がある」 / 本部町の活動家 高垣喜三さん急逝

夫婦お揃いのTシャツでやってくる。東京から名護市に移住して半年、「週5日はきついよ、だから木曜日は休み」と言いつつも週4日、ゲート前、安和、塩川での抗議行動を欠かせたことがない。

これまで勤めてきた大手運送会社の宅配請負業を辞め、中村吉且(68)、淑子(68)夫妻は、新基地反対の運動に飛び込んできた。行けば何とかなるさ――と楽天的に移住を決めつつ、「基地押し付けにおじい、おばあたちがずっと闘っている。その運動に関わりたい。これまでの罪滅ぼしのつもり」と固い決意ものぞかせる。

高校時代は過激だったという吉且さん。「70年安保闘争」に関わり退学寸前にもなったが、教師のひとりが職員会議で懸命に説得してくれ退学は免れた。大学でも活動を優先し授業は出ずじまいで、希望していた教師の道を断念。公務員にもなれず出版関係の道を歩むことに。

2013年、建白書を携え上京した故翁長雄志那覇市長らを迎える集会に参加。学生時代の懐かしい活動家たちに出会い、心が奮い立ったのか、夫婦で相談して沖縄行きを決めた。「新基地の埋め立て図を見てショックだった。沖縄はどうなっているのか、一度行ってみようと」。

2017年6月2日、ゲート前での混乱の中、淑子さんが押し倒されて意識不明となった。診断は頭がい骨骨折、脳挫傷で2週間の絶対安静。ゲート前で淑子さんの状態をマイクで求められた吉且さんは思わず涙で口ごもった。再婚同士のふたり、宅配業で一緒に働き、一緒に老後の生活を考え、沖縄移住を決めた。そんな記憶が重なった。淑子さんは集中治療室から甦った。

そんなことがあっても移住しようとした決意は、と聞くと、「本土の闘いは負け続けてきた。しかし沖縄には希望がある。(妻の)あのくらいの怪我で負けるわけにはいかない。リベンジのつもりですよ。負きてぃないびらんどー(沖縄言葉:負けてはなりませんよ)かな」。

 

(キャンプシュワブゲート前)

70人近くがゲート前に座り込み、抗議の声を上げた。本部島ぐるみ会議の中心メンバーである高垣喜三(71))さんが昨夜急死したという情報が伝わり、つながりがある人からの哀悼のスピーチが相次いだ。

高垣さんは2011年、大阪から本部町に移住。伊江島に通い詰め、「沖縄のガンジー」と言われる阿波根昌鴻さんの足跡を伝える「わびあいの里」(反戦平和資料館)の運営を手伝った。2年後常任理事となり、阿波根さんが唱えた非暴力抵抗運動の精神を広める活動に専念、自らも実践した人だった。辺野古新基地問題でも土砂搬出の現場である本部町で反対運動の先頭に立ち、塩川港での監視活動に取り組んできた。訃報を知った沖縄平和運動センターの山城博治さんは「立場の違う土砂搬出の業者とも関係を築いていた。常に穏やかで声を荒げることがない温和な人だった。とにかく寂しく、つらい」と涙ながらに語った。頼りがいのある大きな柱を失った。4日、本部町で告別式を行う。

生コン車など181台が資材を搬入した。

 

(琉球セメント安和桟橋前)

天候不順のため作業なし

 

(本部町塩川港)

天候不順のため作業なし

 

きょう現在までに搬出されたダンプの数と土砂量、全体との割合

これらの数値はあくまでもダンプの台数から推計した参考値です。

2018年12月から2019年12月末までのダンプの数は114,601台(全体との割合は1.39%)

28日(土) 30日(月) 12月1日(火) 2日(水) 3日(木) 4日(金)
安和 539 386 997 0
塩川 0 363 0 0

 

現在までのダンプの総数 土砂量※① 体積に換算 ※② 全体との割合 ※③
287,737台 1,438,685t 719,343 3.561 %
※① ダンプ1台あたりの積載量を平均5トンとして計算
※② 土砂の比重を2と仮定し計算
※③ 計画されている全体の埋め立て土砂量(20,200,000㎥)に対する割合

Leave a comment

メールアドレスが公開されることはありません。