遺骨の混じる沖縄南部の土砂を辺野古新基地の埋め立てに使う計画に抗議し、遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松さん(67)が沖縄県庁前広場でハンガーストライキを決行した。筆者もハンストに加わった。6日間のその模様を綴る。
1日(月)
朝8時、集まった20人余りの支援者とともに宿泊のためにテント設営。横断幕3枚も張り出す。まもなく続々と出勤してくる県庁職員にチラシを渡そうとするが反応が悪い。受け取ろうとするのは5人に1人ぐらい。9時ごろ、県議会の与党議員(オール沖縄)8人が現れ、議会での奮闘を誓う。折しもこの日は県議会の開会初日。昼頃、辺野古から島袋文子さん(91)も車椅子で激励に訪れる。「戦争で殺された人の遺骨が混じっているのに、その土を基地建設のために使うことは、戦没者を2度殺すことと一緒だ」。午後になると支援者は50人余りとなり、署名・宣伝活動はさらに活発となった。
6日間のハンスト参加者は具志堅さんほか筆者を含め3人。ハンストに至った具志堅さんの要求事項は3つ。「1、防衛局は南部からの土砂採取を断念すること 2、沖縄県知事は自然公園法33条2項に基づき熊野鉱山の開発中止命令を出すこと 3、県議会は遺骨が残る南部の土砂採取を禁止る条例を制定すること」。この日の署名は300を超えた。訪れたメディア、ジャーナリストは30人余り。ハンスト初日にしては上々の反響だ。
夜中に雨となった。雨水がテント内に流れ込んできたが、建築家、真喜志好一さんの助言で角材と板で寝床を高くしていたので濡れずにすんだ。空腹感はさほどない。
2日(火)
6時、隣のテントで寝ていた妙法寺、鴨下上人が叩く太鼓の音で目が覚める。「目覚まし時計がわりです」と鴨下さん。朝早く起きても会場の設営だけでほかにすることはない。水と塩だけを代わり替わり口に含んだ。
10時には100人近くが県庁前広場に集まった。午後、東京の国会内で行われた支援集会とテレビ電話で繋がる。具志堅さんが問題の経緯を説明し、土砂採取をさせないよう支援を訴えた。
親族を亡くし遺骨が見つからないままの遺族、仏教僧侶、キリスト教シスター、市会議員などが次々と訪れ具志堅さんを激励した。具志堅さんが取材を受けるたびに他のメディアも取り囲む風景が一日中続いた。「ハンストよりも取材で疲れてしまうなあ」と具志堅さん。それでも多くの人に事実を知ってもらう絶好の機会とし、積極的に取材に応じていた。
昼の集会で具志堅さんは県庁に向かってマイクで叫んだ。「玉城デニー知事、助けてください。助けてください。戦没者を冒涜しないでください」。会場は一瞬静まり返り、そして拍手に変わった。ニューヨークの連帯集会のようすも報告され、退役軍人の市民団体VFP(ベテランズ・フォー・ピース)の支援メッセージも読み上げられた。
空腹感を忘れるほどの忙しさだった。が、会場の片づけが終わり、眠りにつくまでの4時間余りがきつい。薄暗い明りのなかで雑談し、音楽を聴き、やがて4人は寝袋に身を包んだ。
きょう現在までに搬出されたダンプの数と土砂量、全体との割合
これらの数値はあくまでもダンプの台数から推計した参考値です。
2018年12月から2020年12月末までのダンプの数は302,705台(全体との割合は3.746%)
6日(土) | 8日(月) | 9日(火) | 10日(水) | 11 日(木) | 12日(金) | |
安和 | 662(3) | 925(3) | ||||
塩川 | 0 | 706(5) |
現在までのダンプの総数 | 土砂量※① | 体積に換算 ※② | 全体との割合 ※③ |
348,238 台 | 1,741,190 t | 870,595 ㎥ | 4.310 % |
※① ダンプ1台あたりの積載量を平均5トンとして計算
※② 土砂の比重を2と仮定し計算
※③ 計画されている全体の埋め立て土砂量(20,200,000㎥)に対する割合月