浜のテントの座り込みが21日、6000日目を迎えた。座り込みは小泉政権下の2004年4月19日、政府が辺野古沖の海底ボーリング調査を行った日に始まった。当時は全国からの支援もほとんどなく、地元辺野古の住民らが中心となって沖縄防衛局の職員を相手に工事中止を迫った。
本土からの支援が増えるにつれ、カンパで船やカヌーを次々と購入。ボーリング調査の設備(やぐら)が海上に設置された時は、寒さの中、やぐらにしがみついて工事を中止させた。沖縄の地上戦を経験したおじい、あばあたちが毎日集まり、戦争につながる基地は絶対造らせないと抗議の座り込みを続けた。悪天日以外は毎日海に繰り出し、現在に至っている。
当初からの中心メンバーである浦島悦子さんは、「2004年の頃は、ボーリング調査をする作業員と会話ができる関係でもあったが、今は違う。工事再開した14年からは政府は作業員が市民と接することのないようにした。しかし海保も作業員も沖縄の歴史を繰り返したくないという思いは同じはず」と毎日対峙する海保や作業員たちに思いを寄せた。節目ごとに集会を開いてきたが、今回はコロナウィルスの感染拡大防止のため断念した。
(キャンプシュワブゲート前)
約20人が朝8時40分からゲート前に座り込んだ。沖縄防衛局が県に提出した設計変更申請書のずさんな中身について盛んに意見が交わされた。さらに昨日、防衛局が軟弱地盤の改良工事には最大100隻の作業船が大浦湾に集結することを明らかにしたことを受け、「今でも混んでいるのに、あり得ない」など批判が相次いだ。23日時点で意見書が4000通を超えたという報告を受け、さらに積み重ねて1万を目指そうと気勢を上げた。
生コン車など175台が資材を搬入した。
(琉球セメント安和桟橋前)
沖縄平和市民連絡会のメンバーら30人が出入口にわかれダンプに向かい抗議の声を上げた。仮置き場の土砂がほぼ満杯となり、搬入は通常より1時間早い18時半に終了した。海上ではカヌーメンバー8艇が、桟橋下の網にロープを括り付けて運搬船の出港に抵抗。海保に排除されるまでおよそ1時間、出港を遅らせた。ダンプ652台分の土砂が運搬船2隻に積み込まれ、大浦湾に向け出港した。
(本部町塩川港)
ガット台船を利用しての土砂積み込み。契約上、月に1度は使わなければならない。能率が悪くダンプ16台で回転させても渋滞となった。積み込まれた土砂は普段の3分の1ほどの132台分。
きょう現在までに搬出されたダンプの数と土砂量、全体との割合
これらの数値はあくまでもダンプの台数から推計した参考値です。
2018年12月から2019年12月末までのダンプの数は114,601台(全体との割合は1.39%)
19日(土) | 21日(月) | 22日火) | 23日(水) | 24日(木) | 25日(金) | |
安和 | 828 | 0 | 0 | 466 | 495 | 652 |
塩川 | 0 | 0 | 0 | 522 | 525 | 132 |
現在までのダンプの総数 | 土砂量 ※① | 体積に換算 ※② | 全体との割合 ※③ |
247,654台 | 1,238,270t | 619,135㎥ | 3.065% |